08 in Kyoto

提供: みんなのデジタル教科書教育研究会

目次

グループ1ーデジタル教科書・教材のあるべき姿

(「動画」発表者、「まとめ」作成者:砂岡克也

動画

[前半]、[後半]

テーマ

  ↓

  • ディスカッションテーマ(討議目標);「デジタル教科書・デジタル教材のあるべき姿とは?」


まとめ

  • 授業の進行は検定教科書が基本であり、デジタル教材は単元構成など教科書に沿ってないと、ベテランの先生は良くても経験の少ない先生には使うのが難しい。
  • デジタル教科書はどうしても教科書に準拠するとなると、教科書会社が作るものにならざるを得ない。

 結局使い勝手や機能は教科書会社次第となり、教科書会社ごとに使い勝手がばらばらになってしまう。これは問題である。

  • デジタル教科書は国の認定対象ではないので、教科書に準拠していても副教材でしかない。

 他のメーカーのデジタル教材も基本的に教科書の単元構成に沿うべきだが、小学校の低学年等ではそれだけでなく、教科書との微妙な表現の違いが
 気になって子どもの気が散ってしまう。そのため細かな表現も教科書に揃えることが望ましい ⇒ しかし実際は権利問題で無理では?
 ※デジタルコンテンツは、教科書の単元構成やページ構成に準拠するだけであれば特に著作権に触れることはない。
  教科書の記載内容(文章、絵柄、図表)の複製でなければOK。最近は副教材も、教科書のページや行数の指定で参照を表現することが多い。

  • 教員が教育目的でデジタル教材や素材を使用する際、常に気になるのが著作権。

 実際には著作憲法35条によれば、授業内での使用目的であれば著作物の複製・利用の権利が認められている。
 しかし授業に使用するのはOKだが、授業後のためにそれを保存する時点でかなりグレーになる。これらを理解していない教員は多く、
 OKかNGかわからないままにネットなどからの素材を授業で使用している例が多い模様。

  • サーバー等に保存してネットワークから使うことは、一般に公衆送信権を必要とすることになりNGとなる。

 韓国では、そこを法改正で利用をOKする代わりに国が補償金を権利者に支払う仕組みにした。
 これにより教育現場では自由にコンテンツが使えるが、実際は行政の補償金額が大きくなり、財政を圧迫しているとのこと。

  • 総務省の「デジタル・ネットワーク社会における出版物の利活用の推進に関する懇談会」にて、国内におけるデジタルコンテンツの利用に

 ついて議論がなされており、コンテンツ利用のハードルを下げみんなが利用しやすくする方向で話が進んでいる。ただし決着の見通しはまだ不明。

  • NHKでもEテレというTVチャンネルがあり、学校で活用してもらいたいが、権利問題が障壁となって授業ではリアルタイム視聴か教員本人による録画媒体での授業提示に限定される。
    PCやサーバに保管してのVODでの利用や、他の教員との共有は法律上認められない。しかし現実には授業時間内でのリアルタイム視聴は実質無理であり、
    DVD等録画媒体の再生機器を全教室に常設するのも今となっては前時代的である。
    学校ではEテレのほかNHK総合のNHKスペシャルやプロジェクトXなど、総合教育や道徳でのニーズは高い。
    著作憲法35条が録画媒体での授業中のみでの提示を超えた利用を認めない以上、
    NHK自身は番組を便利に使ってもらいたくとも、それ以上の利用は権利者や権利団体の権利保障が大前提となる。
    ただし、ここ1~2年で状況が好転する可能性があるもよう。次の動きが関係している可能性がある。
    「地上デジタル放送の利活用の在り方と普及に向けて行政の果たすべき役割」
       ⇒「デジタル・コンテンツ流通の促進等」及び「コンテンツ競争力強化のための法制度の在り方」
      【平成 16 年 1 月 28 日付け諮問第 8 号及び平成 19 年 6 月 14 日付け諮問第 12 号】答申 情報通信審議会 平成24年7月25日
  • 授業で重要なのは体裁が完成されたデジタルドキュメントよりも、授業のポイントポイントで使える素材集とツールである。

 素材は、日常では触れることが難しい理科、社会、体育、家庭科、技術などの高画質な資料は特に必要。
 ただし教科書単元への準拠はやはり必要。
 既存のデジタル教科書でクリックすると出てくる資料は、求めているものとは違うものが出てくることが多くがっかりする。
 音楽の場合は、教科書・教材会社に相談すると「ニーズがない」と言われ、音楽の若干マニアックな教員は楽譜があればデジタルで
 音が出る必要などないという偏った意見に支配されている。

  • 教科書会社からすると現在のデジタル教科書はサイドビジネス的なものであり、業界の流れ上やらざるを得ないからやっているに過ぎない。

 ※教科書会社の方の意見。これは社会的背景・市場背景的にデジタル教科書のニーズがまったく成熟してないためと思われる。

  • コンテンツとは別に必要なツールは、この場で出たのは授業進行そのものを支援するツールと、授業の進行中に書いたり消したりする

 ためのツール(電子黒板)。

  • IWB(電子黒板)は今の学校現場のニーズにマッチしておらず、不必要に高機能で高価。2段目以上のメニュー階層は一切使わない。

 また高価すぎて、本来学校の全教室に入るべきなのにモデル校以外は1校あたり1台しか入らない。これでは使われない。
 必要十分な機能で安価なものが市場に必要。
 ※最近はPCレス、プロジェクタ一体型の比較的安価なものが出始めている。

  • 授業でIT機器を使うには準備で手間がかかるし、デジタルコンテンツを使って手間取らずテンポよく進めるための仕組みが必要。

 そういうツールは必要。

  • 学校のインフラが十分整っていないのは根本的な問題。
  • 今の検定教科書が将来デジタル教科書にとって代わる時が来るならば、アクセシビリティを含めたデジタル化がきちんと実現される事が重要。
  • 今のデジタル教科書・教材は、端末の種類に依存しすぎている。今後ユニバーサル化が必須。iPad、Android等の新しい端末の台頭があっても

 従来のPC用デジタル教科書は使えないし、もしWindowsが競争に負けて撤退したらそれこそ従来資産ごと捨てることになるなど、考えられない。
 DVDとDVDプレーヤの関係と同じように、DVDプレーヤの1メーカーが撤退しても他メーカーの機器で利用が継続できる、そういう環境がデジタル
 教科書にも必要である。

  • 国内の市場トップである教科書会社は最近iPad用の高校デジタル教科書を発売し、マイクロソフト社ともWindows8の「スクールパレット」での

 協業を発表した。iPad用は国語と英語用はiPad専用アプリ、それ以外はAdobeのADPS(Disital Publishing Suite)を使用。
 Windowsスクールパレットでは従来からのFlashによるデジタル教科書を使うとのこと。
 これではユニバーサル化は遠い先の話だが、その教科書会社もずっとADPSで良いとは思っておらず、①インタラクティブに向かない②マルチ
 メディア表現に限界がある、という問題と、デジタル教科書でいずれアクセシビリティのサポートが必須となるがADPSやFlashでは到底対応
 できないため別のフォーマットが必要となる。
 現在アクセシビリティに対応したものはDAISYを取り込んだEPUB3しかないが、コンテンツ開発サイドとしてはEPUB3にはまだ言いたいことが
 たくさんあるとのこと。

  • ユニバーサル化に一番近いフォーマットのはEPUB3と考えられるが、コンテンツ開発メーカーは仕様として満足していないのが実状。

 しかしEPUBはまだ進化を続けている段階であり、問題点を叩いて改善し、コンテンツサイドが満足できるレベルにしていかなければならない。
 今国内でEPUB日本語対応の活動をしているのはJEPA(日本電子出版協会)や一握りの有志であり、ことさらデジタル教科書対応という分野では
 さらに限定される。誰かがこれを推進しなければならないが、有志が自費負担でやらなければならないのが実状。
 本来は国策として注力されるべき分野であるが、国はXMDFや.bookなどメーカー依存電子書籍フォーマットの統合仕様作成に予算を投下し、
 半端なものを作ったまま業界に採用されずおざなりになっているという経緯がある。

  • デジタル教科書・教材やICT機器の作り手側と使い手側のコミュニケーションがとられる仕組みを作る必要がある。

 コンテンツメーカーや学校向け機器メーカーが現場を十分熟知せずにものを作って現場に持ってくることが多く、現場では使えないもの
 だったり、不便だったりすることが多い。
 現場とメーカーが意思疎通をとりながら進める仕組みを構築しないと双方にとって不幸である。

  • 教育現場とIT企業を繋ぐべき役割の専門家として、国内にはITCEコーディネーターという資格所持者があるのに十分活かされていない。

 また、25年度から「ICT支援員能力認定試験」も始まる。こういった人材は学校現場の支援だけでなく、学校現場に必要なものをメーカー
 と検討・推進する役割を担うことが重要と考える。
 これを具体的にどうしていくべきか、誰がそれを仕組化するのか。

  • 教材コンテンツの共有や評価ができるサイトの実現性はどうか。海外ではある程度成功している事例があるが、国内ではTOSS、理科ネットワーク

 がある意味成功事例である他は、文科省の肝入りであった教育情報ナショナルセンター(NICER)の停止や、有志が始めて1年ほどで運営終了
 するなど多くが継続運用されないのが現実。継続できる教材サイトを実現するにはこの問題を客観評価・原因追求して問題点をクリアしなければ
 ならない。

  • 質疑応答

 (西尾)砂岡さんの会社では、どのように現場の先生のヒヤリングをとっているか。
 (砂岡)先生方や業者の集まる教育研究会、懇親会で聞ける話が大きいのと、学校を直接訪問して話を聞いたり、アンケート等をとっている。
     我々業者が授業を参観させてもらうのはなかなか難しいが、新聞取材の立会などで何度か参観させてもらっている。
 (西尾)実は授業を見る事が本当に大切。直接話を聞くだけでは、教員が当たり前と思っていることは情報として出てこないし、実際に
     参観すると授業の現場では業者が全く思いもしないことがあったりする。

  • 結論

 討議の結論として完結はしていませんが、上記検討で出てきた項目はデジタル教科書・デジタル教材のあり方としてこうあるべき、という
 ものになりました。これらの実現を目指して今後も継続して活動を進めたいと思います。

グループ2ー情報教育について

(「動画」発表者、「まとめ」作成者:久富望

動画

[後半(7:50から)]、[後半


テーマ

  • ディスカッション素材:堀田龍也「メディアとのつきあい方学習—「情報」と共に生きる子どもたちのために」(ジャストシステム情報教育シリーズ)

 ↓

  • ディスカッションテーマ(討議目標);「情報教育について」


まとめ

  • メディアとは?

 あらゆるものがメディア。メディアに対して固定観念を外すべき。
   ICTなしでもメディアについての教育には取り組める。メディアという言葉に縛られず、考えるべき。
   学校において知識が伝達されていくと考えるとき、先生もメディアである。
 メディアを所与のものとして固定化しない。参画する対象としてメディアを捉えるべき。
   自分自身もメディアである。社会的・文化的文脈の中でメディアは捉えられるべきである。

  • 紙の機能を超えるために

 書き換えるとき、紙のメディアなら「置き換え」だけだが、リンク付きメディアなら「リンク先を変える、増やす」という手段がありうる。
 ハイパーリンクは、「巨大な百科事典」「知識の共有」の2つを目的として生まれた。
 紙の本の編集に慣れた編集者は、せっかくInDesignが備えているハイパーリンク機能を有効利用できていない。
 実際には、ハイパーリンクについて考える役割を持った担当が、必要かもしれない。

  • 「学校教育」と「実際の学び」にズレがある → 折り合いをつけるには?

(結論)「総合的な学習の時間」は本来、自由に「教科間連携」するものであり、

そのためのインフラであるICTがある場として、メディアルームとしての学校図書館が非常に重要だろう。
この場は、教科だけでなく、新旧のメディアをつなぐ役割も担う。

(議論経過)
  本来、どの教科も突き詰めていくと「総合的な学習の時間」になる。
  教科書は、どの科目も、突き詰めていくとガイダンス機能になっていくのではないか。

  「総合的な学習の時間」は本来「先生達の好きなようにやってください」で始まっていた。
  ところが、その際に提示された4つほどの例に、現場は縛られてしまった。
  たとえば、本来の(文科省の)趣旨通りやった教員が、例示された4つ以外の事をするなと怒られた。
  学校現場では驚くほど学習指導要領を読まれていない、これは大きな問題ではないか。

  総合的な学習は、いろんな教科をつなぐ必要があり、そのためのインフラとして情報機器は重要。
  この、情報科が持っているインフラが接着剤となり、教科間連携を実現しうる。その結果、「情報科」と「総合的な学習の時間」はほとんど重なる。
  では、情報機器はどこに置くか?つまり、中心はどこに?
  それは、学校図書館であり、メディアルームと名前を変えた「場」であろう。そこでは、教科間連携だけでなく
  「今、タブレットで○○という(紙の)本に△△と書いてあると読んだけど?本当にそう?」
  「その本なら、ここにあるから、ちょっと見てみよう」という会話が生まれうる、新旧メディアの接着剤にもなる。

  ただし、ソフトを作る人間も頭を柔らかくする必要がある。
  たとえば「図書館に(紙の)本の読後感想を一言書き込むSNSを仕込む」という案に「図書館は本を借りる場所だから不要」と言われた事もある。

  • すべての子に合う一つの方法は無い

手立て・引き出しを増やすことは重要である、「情報端末だから学べた」という子供は実際にいる。
一方、新旧の併用は、管理職から「コストが減らない」、現場から「手間が増す」と言われうる。
教育における効果・効率性、標準化は常に反省的でなくてはならない。

  • 校務の情報化

(1)校務が自治体によりバラバラであることは百害あって一利なし
   標準化・トップダウンも局面によっては有効だろう(ただし12校揃えるだけでも大変だった)
(2)「校務とは何か?」「何のための校務か?」から問い直す事が必要。
   しかし、この問い直しは現場では不可能。学会・研究者の出番になるだろう。
(3)「校務の情報化」と「評価の情報化」をリンクさせすぎてはならない。
   何をIT化すべきか見極め、IT化すべき点も目的を明確化した上で推進するべき
(4)学校教育の研究校で現在確かめられていることのいくつかは、
   検証要件さえ明確にされれば、学校外でも可能ではないか。
   現在のフューチャースクールなどの件数とは比較にならない量の検証が可能にならないか。
(5)検証の数が増えれば、機器やソフトの評価、対比させていく事が
   今後、環境の成熟に従い必要になってくるのでは。


  • 目指す社会像・教育の在り方について

(議論の箇条書き)
 「こういう教育がいい」を出しすぎると、総論賛成、各論反対になりかねない。固定化しない。
 今の日本は、目指す方向はまだ共有できていないが、少なくとも「何か、このままではいけない」という社会の行き詰まりは共有されているのではないか。
 「目指す社会像・教育の在り方」の社会的コンセンサスは非常に難しいだろうが、少なくとも公教育においては、ある程度必要ではないか。
 学校が学校を地域に開く、開かないはおかしい。学校を決めるのは地域である。
 学ぶ事は、そこら中に落ちている。学校は、画一的に学ぶとは別の場となっていかないか、地域と根付いた形を取らねばならない。
 明治5年の学制改革の前である寺子屋の要素、つまり、一つの教室で個別の学びが行われるような、「個別の学び」と「集合学習」の共存を模索できないか。
 しかし、この寺子屋がなぜなくなったか?それは、明治以降、標準化・効率化が必要とされた社会的背景
 (乱暴な言い方にはなるが「富国強兵」、具体的には優秀な軍隊、事務員、工員の養成)があった。
 今は、社会の状況が違うのだから、学制改革後のいわゆる「学校」に囚われず、考えていくべき。

  • これからの教育を考える上で、以下の点は少なくとも参加者で共通認識であった

 1. 方法を変えていかないといけない
 2. 教室や学校制度を固定化して考えてはならない
 3. 多様性は必要である

  • まとめ

 情報教育・情報化について始まったが、結局、それを支える理想は何か、ということで議論が盛り上がりました。


  • 質疑応答

 (井上)教科書は全てデジタル化する必要が無い、という話があったようだが、
     私は、全てデジタル化する必要がある、それどころか、あらゆる人類の遺産はデジタル化しないといけない、しないと残らないと考えている。
     繰り返し私が言っているように、すべての人がアクセスできるにはデジタル化するしか無い。
     紙では無理である。お金の問題もあるので、ニーズの高いところから進めていくべきでないか。
     国の勝ち負けは好きではないが、東南アジアやアフリカは雪崩を打ったようにデジタル化を進めているという話も聞く。
 (久富)あの国がやったから、日本もやろう、というのは嫌だなという話は出ました。
 (井上)私も嫌だが、そういう話は政治家には効果的だった。
 (久富)戦略として利用できるかもしれないですね。
     教科書が部分的にデジタル化でもいいという話は、紙を残したいという文脈からではなかった。
     紙をとりあえずデジタルに全て置き換えるのはどうだろう。
     紙の機能を超える事も無いそのやり方は、結局、紙の再生産をしているだけではないか、という文脈からだった。

個人用ツール